「見のがさないで」  01.12.30   イザヤ5:8、ルカ2:1〜7

 <宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。>
神さまが与えてくださった救い主のための場所がなかったというのです。
これは、「あなたには私のための場所はあるのか」と、クリスマスのたびに
わたしたちに問われていることです。

 クリスマスの降誕劇に、必ず登場する人物に宿屋があります。
CSの子供による劇では、ヨセフたちを拒む宿屋の主人も登場します。
「どの部屋も一杯であなたを受け入れる場所はありません。よその宿屋に
行ってください。」 救い主を拒む人間の代表的な姿があります。
「今忙しいのです。それどころではないのです。」そう言って拒み、結局は心を
亡ぼしたままで、何も変わることの出来ない宿屋のままで良いはずがないのです。
 そのままでよければ、救い主があえてお生まれになることもありませんでした。
地上にこられて、戸をたたいてくださる救い主をお迎えする宿屋でありたいのです。

 では、ヨセフたちを泊めた宿屋はどうだったでしょうか。
他の宿屋と同じように忙しかったでしょう。ヨセフたちを、家畜小屋に迎えたからといって、
十分な世話をしたとは思えません。家畜小屋の夫婦のことなど忘れていたかもしれません。
そして、救い主がお生まれになったと知ったとき、主人は青ざめたに違いありません。
もっと上等の部屋を用意すればよかった…。十分な接待をすればよかった…。
そう言って悔やんだと思います。そして、ヨセフや、主を訪ねてきた羊飼いたちに一生懸命
言い訳をしたでしょう。この宿屋の姿もわたしたちと重なります。

 主をお迎えしたとしても、端っこの方に追いやり、時々忘れ、そして終わりの時には、
弁解するしか出来ない。主の恵みに対する鈍感さがあります。

 しかし、
それでも主は素通りせずに、そんな宿屋にお生まれくださったのです。
だから、わたしたちは、自分たちの足りなさを悔い改めつつ、主に深い信頼を
置きつづけることが出来ます。